- 自尊心との闘い
「部下を信じるこころ」は「見えない努力」であり、私自身の自尊心との闘いであった。 - 「ぶれない」ゴール
ゴールがあって相手がいた。 - 文化を作る
「見えないもの」が、組織に広まり、文化になった。
(以下本文:3分程度でお読みいただけます)
第1回
「断らない三次救急」の実現 「見えないところ」に本当の意味がある
私は、2009年9月、救命救急センター長を拝命した。
心の中のゴールに「断らない三次救急」を設定した。
そう想うのは簡単だったが、実行することは難しかった。
あらゆる摩擦を乗り越えなければならなかった。
どうすればゴールを実現できるのか? 考え続けた。
「若手人材の獲得」は非常に重要であった。
「他科との協調」も、大きな課題として取り組んだ。
その中で、私が最も重要と考えたのは、「部下を信じる努力」であった。
自尊心との闘い
「部下を信じるこころ」は「見えない努力」であり、私自身の自尊心との闘いであった。
「部下を信じる努力」は目に見えない。
言うのは簡単だが、誰にでも実行できるものではない。
私も、「部下を信じる心」が無かった。
トップになると、部下は私に称賛を求めた。
しかし、私はトップなので、部下に称賛を求めることはできなかった。
当時の私は、今以上に臨床、学術、マネージメント、どれひとつ自信を
持てずにいた。余計な「自尊心」や「羞恥心」が、私を苦しめた。
自分を一旦脇に置き、部下を心から「信じる」。それは本当に難しかった。
とくに、部下がエラーを犯したときは、より一層、難しかった。
しかし、上司の真価は、そんな時に問われるとも思った。
私は、エラーの直後にこそ、
その部下に対して100%の信頼を示すように心がけた。
部下も人間なので間違うことはある。
少しの間違いと、対照的に、日ごろからの大きな功績。
後者を見ることで、少しのエラーは許容できた。
自尊心との闘いは、次第に、克服できるようになった。
『トップの自己顕示欲ほど、組織に有害なものはない。』
「断らない三次救急」という目標を達成するためには、
自分への執着を無くすこと。それが自分の使命だと、徐々に思うようになった。
「ぶれない」ゴール
ゴールがあって相手がいた。
私には、常に「must」のゴールが念頭にあった。
そのうえで目の前の「相手」がいた。
どうすれば、八王子地域のために「断らない三次救急」を実行できるのか。
そのためには、今、目の前の相手に対して、
自分の意見を押しつけるべきか、いや、ここはひとつ、譲歩するべきか。
その判断の連続であった。
私は、主役である部下に、多くのことを譲った。
しかし、「断らない三次救急」の想いは、言葉ではなく、
非言語的に、周囲に影響を与えた。
私は「救急車を断るな」と、言葉で部下に伝えた覚えはない。
だが、我々は、東京都に26ある救命救急センターの中で、
最も高い応需率を現在5年連続で、今も達成している。
「断らない」というのは簡単ではない。
夜間、少ない人数で、何件も同時に救急車を受けると、
一晩中、眠れないどころか、水分すら摂れないような、厳しい時間を過ごすことになる。
その後の、生命をかけた集中治療も、精神や肉体を消耗する。
しかし、若い彼らは八王子医療センターの役割を鑑みて、
三次救急は断ってはいけないという強「想い」を持った。
命令して実行させられるのであれば、
どの施設でも、計画通りの高い応需率が得られるはずである。
八王子医療センターの応需率が高いのは、
「命令」ではなく、医師をはじめとした職員の「正義感」に火が付いたのである。
組織としてのゴールを達成するには、
自分の都合は3割くらいに控え、
相手の立場を尊重しなければならない。
そういう考えは、次第に部下たちに伝わった。
いま、彼らの言動をみていると、日々そのような意識で行動している。
少なくとも、そうしようと、頑張っている。
文化を作る
「見えないもの」が、組織に広まり、文化になった。
救命救急センター長として10年間、
私は「見えない努力」に力を注いできた。
トップの中にある非言語的な「想い」は、組織にとって重要だと思う。
それは「余計な自尊心」との決別でもあった。
結果、今となっては、「断らない三次救急」という想いは、
部下たちにだけでなく、八王子医療センターの「文化」になった。
そういった経験が、私に次なる勇気を与えてくれている。
私の次なる想いを、この先、勝手ながら、連載させて頂きたい。