第22回 コロナ禍から得られるもの

第22回 コロナ禍から得られるもの

ウイルスとの共生のはじまり

我が国の、新型コロナウイルス感染症対策において、

PCR検査を増やすべきか否か、という議論があるが、

その前に、

如何にPCR陽性者を受け入れる「受け皿」を作るか、という議論が必要だろう。

軽症者はホテルや自宅へ、という方向性は明確だが、

中等症・重症の患者さんの受け入れ先が、圧倒的に足りない。

しかしこれは、当然といえば当然である。

公的病院は、行政の指示に従い、

否応なく、コロナ患者さんのためのベッドを増やしているところである。

しかし、民間病院は、

(日本の病院は、諸外国に比べ民間病院の占める割合が非常に大きい←参照:ブログ第4回

コロナ患者さんのためのベッドを確保することで、

院内感染のリスクが上がり、さらに風評被害などで倒産のリスクも上がる。

そういった理由により、民間病院は「二の足」を踏まざるを得ないだろう。

しかし、今後、新型コロナウイルスに罹患する国民は増える一途であり、

その多くは無症状であるという点、すなわち、

あらゆる患者さんがコロナウイルスに感染している可能性を排除できない点からも、

いずれ、どの病院においても、

新型コロナウイルスの患者さんを「診ない」という発想は消えるだろう。

代わりに、どの病院も、

院内感染対策に本腰を入れ、コロナ感染症の患者さんの診療に取り組み、

これまで通りの病院運営を継続する、という方向性にならざるを得ないだろう。

すなわち、

人類が、新型コロナウイルスとの「共生」を余儀なくされた以上、

我々はその「事実」を受け入れ、

生きてゆくための、新しい「方法」を考える以外に、道はないだろうし、

その点から言うと、

日本の医療体制も、その方向性はある程度、もう決まっているのだと思う。

あっという間に、時間が進んだ

「コロナ禍」が到来する前から、

日本の医療体制は、もう後がない「崖っぷち」の状況であった。
(参照:ブログ第4回第5回第6回

国の大借金の原因は、医療費を含む社会保障費の高騰であった。

そのため、国は医療の「効率化」を図り、

「地域医療構想」や「医師の働き方改革」を打ち出し、

いわゆる、「ダウンサイジング」を目指した。

このブログでも何度も取り上げてきた、

「もうお金がないので地域でまとまってください」、という発想である。
(参照:ブログ第7回第8回第9回第10回

 

ところが、

突如として、我々の世界に、新型コロナウイルスとの「共生」が始まり、

病院も、居酒屋やカラオケと同じく、「できるだけ避けるべき場所」になった。

すなわち、今後、多くの病院が経営難に陥り、

日本の医療は、「崖っぷち」から「崖下」に落ちることが、容易に予測できる。

しかし、

そもそも、コロナ禍の有無に関わらず、

日本の多くの病院が、将来経営難に陥ることは、すでに認識されていたことである。

そして、そこから這い上がり、

日本が医療を再生するための「方法」も、

「地域医療構想」や「医師の働き方改革」として、既に明示されていた。

ということは、

日本の医療再生は、コロナ禍によって時期が早まっただけと、考えることもできる。

今は、従来から進められてきたように、

「地域でまとまること」を目標に据えて、躊躇なく「前進」すれば良いのではないか。

喪失の先にあるもの

このパンデミックを乗り越えるため、

政府は、非常事態宣言を発し、経済活動を停止させ、莫大な財政出動を実行した。

これによる日本経済に対するインパクトは測り知れず、

我々現役世代は、以前に増して大きな借金を、生涯にわたって背負わねばならなくなった。

貧困、差別、治安の悪化、あらゆる問題が現実化するだろう。

しかし同時に、

医療の現場に立っていると、

これまで、如何に「不要不急」の受診が多かったのか、ということも見えてきた。

何をもって「不要不急」と判断するかは難しいが、

世界は、コロナによって、「いまどうしても必要なもの」以外の、

多くのものを、「能動的」に手放そうとしているところである。

 

手放すことは、寂しく、心細い。

我々は、既存の多くを失うだろう。

しかし、生き残って、次の世界を作るためには、

限りなく身軽になって、何が一番大事だったかを、思い出すべきだろう。

今後予測される、「劇的な医療需要の低下」は、

もともと「国民医療費」という巨大な「借金元」を抱えていた日本にとって、

大きな負担軽減になるだろう。

そう考えると、日本の医療にとってコロナ禍は、

単なる「悲劇的終末」として捉えるものでもないと、私には思えてくる。

日々、顔を上げて

足元に目を移す。

我々は、救命救急センターとして、

最重症の新型コロナウイルス肺炎の患者さんの治療に取り組んでいる。

その中で、日々、需要と供給の不均衡に苦しんでいる。

今後、多くの重症患者さんの受け入れベッドが足りなくなるだろう。

それを、少しでも解決するために、

喫緊の課題として私自身が取り組んでいるのは、

重症患者さんの治療を、

地域の医療機関が「全体」としてどう乗り越えるか、というプロジェクトである。

WEB会議などを駆使し、

患者さんの病態や重症度に合わせ、適切な病院が適切な患者さんを担当できるような、

転院搬送マッチングシステムの構築である。

 

今、救命救急センターの医師・看護師・コメディカルたちは、

自信のリスクをかえりみず、果てしない戦いに挑んでいる。

その姿に、心から敬服する。

と同時に、彼ら彼女らの献身を、単なる「籠城」に終わらせるわけにはいかない。

救命救急センター単独の戦いから、病院全体、

そして、地域の医療機関「全体」の戦いに発展させ、戦況を、劣勢から優勢に転換すること。

そういったイニシアティブは、大学付属病院の使命だと思う。

(参照:ブログ第2回第3回)

1人でも多くの、救われるべき命が救われるためには、

医療機関が、その連携体制を抜本的に更新する必要がある。

この基本の「き」に立ち返って、一緒に戦いましょうよ、と言いたい。

このような、「医療本来のミッション」に立ち返ることで、

ポストコロナの「新しい地域医療」の端緒が見えるのではないか、と私は思う。

 

我々、現役世代は、

コロナ禍によって生じた莫大な借金を返すためだけに何十年も生きてゆくのか、、、そうかもしれない。

しかし、それだけではなく、

コロナ禍を乗り越えることで、

日本の医療の「再構築」を、自分たちの力で達成できる喜びも得られるだろう。

医療の再生は、社会の再生である。

目線を上げて、遠くを見据え、そのうえで、日々の業務に粛々と取り組みたいと思う。